一玄和尚のおはなしコーナーです
毎月24日の「おねがい地蔵の日」の法話から、また、
世話人さんや御参りの方々との
立ち話からなど、様々な内容の話を順次掲載します。

タイ国のこと − 私のタイ語の先生

私は現在は地蔵院の住職ですが、今から25年程前、数年間だけですが在東京のタイ政府観光局(現在は観光庁)でスタッフとして働いていました。それ以前からタイには大変興味があり、タイ語を習っていました。

先生は日本人男性と結婚しているタイ人女性です。彼女はタイ国王の血を引く家系の方で、タイ古典舞踊の名手です。家がわりと近かったので、その方の家に週に数回お邪魔してタイ語のレッスンを受けました。発音が難しく、また文字は漢字でもアルファベットでもない、それまでに見たこともない不思議な形のものでしたので、とても難儀しました。

チェンマイから先生のお母さんが来日し、半年程先生の家に滞在した時には、お母さんからタイ語の特訓を受けました。当時75歳くらいでしたか、このお母さんがラマ5世の娘で、若い頃はさぞや大変な美人だったろうと思わせられる方でした。

しかしお母さんのレッスンは厳しいものでした。なにしろタイ語のお経を覚えさせられるのです。当時の私は僧侶でもなんでもない20代の若者なのに、です。ちゃんと唱えられないと、まだ覚えないのか、と叱るのです。朝から晩まで、事務所にいる時でさえ、おまじないのようなタイ語のお経を口の中でもぐもぐ言っていたのですから、周りの同僚には妙な顔をされました。おかげで今でも少しは暗誦できますから、若い頃に覚えたことは忘れないということですね。

お母さんが国に帰られてから、何度かチェンマイのお宅に伺いました。タイの方は「し」を発音しにくいらしく、私の名前、島田を「チマダ、チマダ」と呼び、いつも歓迎してくれました。

やがて私が結婚する事になった時、チェンマイでタイ式の仏前結婚式をしたいので手配をして欲しいとお母さんに頼みました。仏式の占いによって式の日取りが決まり、チェンマイの郊外の小さなお寺で結婚式を挙げていただきました。式の後、お母さんの旧知の方々や近所の人々がご馳走を持ち寄って集まって下さいました。お母さんの人脈もあり、日本人が珍しいというのもあったでしょうが、見ず知らずの異国人のために心から祝って下さったのです。

お母さんはその後病を得、お見舞いに何度か伺いましたが、亡くなられました。

私が僧侶になったのはその数年後です。もしお母さんが生きていらしたら、私の顔を見るなり、「タイのお経を唱えてごらん」と間違いなくおっしゃるでしょうね。


                                        一玄 合掌                                      
         
                                          平成16年1月11日